ロバート・レッドフォード、最新作にして最終作(でもないのか?)

  • 2019.07.17 Wednesday
  • 21:19

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『The Old Man & The Gun』

邦題は「さらば,愛しきアウトロー』

 

この人は若い頃に絶世の美男子だったばかりに、年老いてからは見るのが辛いと思うこともあったけれど、今回はそうでもなかった。主人公ははなから老人であるし,実在の銀行強盗が人生の最後まで現役で(泥棒として)働いていた記録の映画化はいかにもレッドフォードらしい洒落にあふれた設定になっている。

それにしても美男スターというのは良いもので、大昔の出演作品を思い出しては、うっとりしてしまう。この映画にも、彼が若い頃に出ていた映画のシーンが利用されていて、見る者を無理矢理その時代に連れ戻すのだ。

 

 

映画『パピヨン』

  • 2019.07.03 Wednesday
  • 19:15

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『パピヨン』を観たと書いたけど、レビューらしきものも書いておこう。

もちろん前作との比較が必要だね。S.マックイーンとD.ホフマンのものを札幌の映画館で観たのは、私が高校1年生の時だったか。あまりに長い映画で、門限を守れずに怒られたのだった。

それにしてもあれはすごかったな。なんといっても音楽が良かった。フランス映画みたいな曲だったけど、作曲はフランス人じゃないのだよね。ま、それはともかく、今回の映画もそれなりのスターが出演しているらしいけど、最近ハリウッド映画は滅多に観ないので、よく知らないのよ。いや、実は、全く知らない人たちばかり。

第一作は複数回観たので、今回も見せ場は共通しているのがよく分かる。ほとんど同じだね。

 

どうもレビューらしきものは書けないな。やはり第一作が良すぎたのだ。でも、今回のものをダメだという気にもなれない。やはりあの曲がないと『パピヨン』じゃないのだな。

YouTubeで音楽を検索すれば幾通りも聞けるので、ちょっと試してみた。あの有名なラストシーンを観ながら聞けるのがうれしいな。

あー、やっぱりレビューになってないね。

 

 

札幌の映画事情

  • 2019.07.02 Tuesday
  • 20:43

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5月から札幌の住人になって、映画事情がずいぶんと変わってしまった。

川崎に住んでいた頃は、毎年30本以上のロードショウを観ていた。ほとんど会社帰りの平日の夜。チネチッタはスカスカで気持ちよかった。あれで経営が成り立つのかと不思議に思っていたけど。

 

札幌には映画館の数が驚くほど少ない。だからこんなに混んでいるのかな?

私が会員になったのはチャリで出かけることができる狸小路6丁目にある、シアターキノ。一本千円で観られる。5,6月で観たのは『ROMA』、『誰もがそれを知っている』、そして『パピヨン』。メキシコ映画だったり、監督があのイラン人だったり、大作のリメイクだったり、かなり渋めの選択だと思う。近々ロバート・レッドフォードの引退記念興行を観に行くよ。これもまた渋いね。

 

一方で、邦画といえば札幌駅ビルのシネマフロンティアというところで観るのだけど、こっちはチャラいのが多いな。『コンフィデンスマンJP』とか、『ザ・ファブル』とか。十分面白かったけど。

 

 

 

松本清張を読み返している

  • 2019.06.20 Thursday
  • 21:59

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松本清張という人は,不世出の大文豪だと思う。野球界のイチローのようなものか。これを超える人が出るとしても、百年に一人だろう。まぁ、それはともかく、どうしてそんなことを急に言い出したかというと、また一冊読み返してみたからなんです。定年退職した私が、本棚の中で見つけて気になった本のタイトルは『男たちの晩節』という短編種。なんだかベタだね。そのまんまって感じ。

 

松本清張がこれを書いたのは昭和30年代だろうか。勤め人の定年は55歳だった頃。彼自身がそれくらいの年齢だったかも知れない。自身が経験した新聞社での広告部の話がリアルだ。もしあのままあそこに勤めていたら……なんてことだ。

 

もう一冊、絶対に手放さないはずの『小説 日本芸譚』が本棚に見当たらなくて驚いた。先日の断捨離で間違って捨ててしまったのだろう。Kindle で買い直したのでこれから読み直す。これも素晴らしい。運慶、光悦などの半生を小説として書いた短編が素晴らしいのだ。

下の記事には、この写真をアップしたかったのです。

  • 2019.05.22 Wednesday
  • 16:27

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焼き肉屋にて

  • 2019.05.19 Sunday
  • 18:41

北海道の田舎でミニ同窓会をやった。

 

集まった連中は、私も含めて、爺になっていた。

もう一度花見を

  • 2019.05.14 Tuesday
  • 09:24

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今年の3〜4月はあたふたしていて、まともに花見もできなかったのだが、北国へ引っ越したおかげで、もう一度チャンスに恵まれた。ただしこの桜は関東でよく見かけるソメイヨシノではない。なんだろね?

 

 

仕事を辞めた。そして、遊んでいる。

  • 2019.04.23 Tuesday
  • 20:38

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先週いっぱいで仕事を辞めた。『え、どうして?』などと職場でさえ聞かれることがあったが、つまりはそういう年だということ。還暦到達なんです。見た目が少し若いようで、その点を意外に思われたりする。ただ、まだ厚生年金が出るわけでもないので、ちょっとの間はなにかして働こうと思いつつ、今年いっぱいくらいは失業手当と蓄えと、さらに人の施しを頼りにごろごろしている予定。聞いてみるとそういう人はたくさんいらっしゃいますね。特に仕事とか会社とかがいやだってわけでもないのですが、なんとなく、「もう、いいかな」という気分。

早速あちらこちらで遊びほうけています。仕事を辞めると同時に住む場所も変わるので、送別会も色々な人がやってくれます。私って、意外と人脈が豊富な人だったのだ。もっと偏っていると、自分では思い込んでいた。声をかけてくれるのは、たとえば年代別だと、下は二十代、上は八十代。仕事関係の人、食べ歩き&呑み友達、趣味関係、勉強関係。そして理由はなんだか分からないけどつきあっていた人達。そういうつきあいが出来たのはやはり、まだ若くて体力があったからなんだろうと思う。今でも彼らとつきあうことは出来るけれど、そういうつきあいをどんどん開拓できるだけのエネルギーは、今の私にはない。せいぜいこの遺産をどこまで維持できるか、というところだ。

ま、そんなものだろう。

『グリーンブック』がとても良かった。

  • 2019.03.18 Monday
  • 16:40


 

ケンタッキー・フライド・チキンが重要な小道具で出てくる。1960年代初めの米国南部での話だ。

無教養で野卑な白人ドライバーが、ドクターの称号まで持つ高名なピアニストの黒人に、フライドチキンを勧めるシーンがある。ピアニストはそれを素手で掴んで食べるのを嫌がるのだが、ドライバーは無理矢理押しつける。

「衛生面に問題がある」と文句を言いながらも、ピアニストは意外と嬉しそうに食べてしまう。その後、素封家の晩餐会に招待された彼らは、そこでも「黒人のお客様のために、今夜は特別にフライドチキンでおもてなしです」と言われる。

米国でのフライドチキンは本来、富裕な白人ならば捨ててしまうような部位を、圧力鍋などを使って柔らかく調理して食べられるようにしたものらしい。それは特に貧しい黒人達に好まれるというステレオタイプがあるのだ。日本の被差別部落で家畜の内臓を食べるようなものだと解説している本さえあるらしい。
なるほどそういうものなのだろうか。日本でのフライドチキンはむしろ高級イメージさえあるように思ったけれど、

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運転手が南部の道で車の修理をしていると、そばにある農園で、奴隷同然に働かされている黒人の集団が、ピアニストを見つめる。白人の運転手つきの高級車に乗っている黒人とのコントラストが強烈だ。ピアニストと農奴達は、お互いに違和感を持って見つめ合う。

そこは戦前にビリー・ホリデイが歌った『Strange fruit』が見られたような場所だろう。

 

♪ 南部の木には不思議な果実がなっている

 

と歌われる名曲だ。黒人が何かの罪に問われ、見せしめのために白人達によって木から吊され、殺されたのだった。裁判も無しに絞首刑にしてさらす。しかも殺人者達は罪に問われることもない。犬でも猫でも、こんな殺し方をすれば非難を浴びるはずだが、南部の黒人だったらそうでもないのか。

 

https://en.wikipedia.org/wiki/File:ThomasShippAbramSmith.jpg

 

ピアニストはあるとき、運転手に向かって胸の内を吐き出す。

『自分は白人から見れば、家畜に等しい黒人で、あの農場で働く黒人達からは、同じ黒人とは見なされない。じゃ、私はいったい誰なんだ?』

 

運転手は言葉を失う。そしてこの『異質な人』が、自分の分身であることを理解し、二人は生涯の友人となる。

『運び屋』(The Mule)

  • 2019.03.15 Friday
  • 22:51

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クリント・イーストウッドが、あれほどよれよれになっても映画人をやめないのは、もちろんそういう需要があるからだ。そして彼は自分自身でその需要を作り出している。プロデューサーとしても、監督としても一流のシネアストなのだ。 
あの荒野の用心棒やダーティーハリーを演じた彼が、若いちんぴらに血まみれになるまで殴られ、妻に愛想を尽かされ、娘には10年以上も口をきいて貰えない、しなびた爺さんになっている。しかしガンマンや刑事時代に培った男の矜持は忘れない Mule (=原題: 愚かな頑固者)だったのだ。 

彼は自分が制作側に回った頃から、タブーを正面から取り上げるようになった。社会が内包する矛盾をえぐり、さらし者にして、「おい、これでいいのか?」と我々に問いかける。そのためには正義がないがしろにされる結末さえいとわない。今回、主人公は黒人を蔑称である「ニグロ」とよび、その黒人から怪訝な顔をされる。もちろん主人公も、制作者である彼自身もそれを蔑称とは思っていない。その言葉を蔑称であるとする、表層的な「言葉狩り」に立ち向かっているのだ。 
複雑に絡み合う善悪と清濁の隙間で、シネアスト・クリントはダーティな闘いを挑み続ける。