アメリカ

  • 2020.06.24 Wednesday
  • 20:22

米国で小悪事を働いた黒人が、白人警官にまた理不尽に殺され、全米どころか世界各地で騒ぎになった。英国でもブリストルにあった奴隷商人の銅像が倒され、市民の手で運河に投げ込まれた。それに関連して私も一つ思い出したことがある。

もう何十年も昔のことなので、記憶が少しあやふやになりつつある。特に事件があったというわけでもなく、町を散歩しているときに私が見た光景から、実際にあった大昔の出来事を知らされることになった一件だ。

 

当時私はフランス南西部のボルドーという町で学生だった。ワインで世界的に有名な町だ。町の中心部ともいうべき、旧市街は幾つかに分かれている。一つは古くからの下町で当時、南欧や北アフリカからの移民が多く住んでいた。貧民街と呼んでも良いほどの不潔さと過密さで、当時よく、『あぁ無情』とか『三銃士』とかの時代劇のロケに使われていた。しかし旧市街でも、全く対照的な高級住宅街もあった。軒を並べる家々はとても個人の住宅とは思えず、高級ホテルか美術館とでも間違えそうなゴージャスな門構え。そしてなにより不思議に思えたのは、表札に書かれているのが Smith とかKirkland とかの、アングロサクソン系の名前ばかりだったことだ。

考えてみるとボルドーのあるアキテーヌ地方は、かつて英国領だった時代がある。そして近世には、欧州、西アフリカ、米州各地の間で行われた三角貿易の、重要拠点の一つとして栄えたのだ。そのため、英国人の貿易商がここに住み着いて大きな財をなした。ボルドーの町の一角に、今でも英国起源の大金持ちが多く住むのは、その名残なのだ。

 

歴史の教科書によれば米大陸には本来黒人はいなかった。プランテーションの労働力として使われるために、当時欧州の奴隷商人たちによって西アフリカ地方で組織的に狩られ、大量に送り込まれたのが、現在の米大陸の黒人のルーツだ。それほどひどい目に遭わされた人たちの子孫ならば、お詫びの一つも言われて丁重に扱われるのが筋だろうが逆に、未だに虐げられているというのはどうしたことだろう。

 

それと、アフリカ系の人たちもさることながら、”本来のアメリカ人“たちもひどくないがしろにされる。

 

私のボルドーでの学生時代によく聴かされた歌にこんな一節があった:

 

♪ さぁまた、新しいアメリカを見つけに行こう

♪ そこには自由が待っている

 

とんでもない話だ。誰がアメリカ大陸を“発見”したというのか?

コロンブスの時代ならともかく、なぜ今時こんな歌を歌える?

いったいどこまで脳天気なのだ。

そこで君たちの自由が始まったとき、元々住んでいた人たちの自由が終わったことを知らないのか?

 

どれほどのたわけでも以上の理屈は分かっているだろう。しかし数百年かけてすり込まれた彼らの思い込みは、どうにも捨てようがないのだ。

 

今回の黒人のデモでよく引き合いに出されるのが奴隷解放で有名になった第16代大統領のリンカーンだが、この大統領、歴代の誰よりもひどく米国先住民を迫害したことでも有名だ。一度に絞首刑にされた人数の米国記録は、彼が先住民に対して執行命令を出したもので、38人。これは未だに破られていないそうだ。

奴隷解放にしてもそれは人道主義から行ったものではなく、経済合理性のためだったと、彼自身が私信に書き残している。黒人達もありがたがってばかりはいられないのではないか?

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